組名の由来


なにものでもないもの、未知なるものに名をつける。編集はまずここからスタートします。「九天玄氣組」の名付け親はイシス編集学校校長・松岡正剛。この名に込めた思いとは。2006年9月の発足式の際に組名について語られた一節をご紹介します。


 

 九州における鍵と鍵穴の関係でこれまでなかったものとは、いったいぼくにとってなんだろうと、かなり真面目に考えました。

 

 たとえば、どこからが百済でどこまでが倭だったのか。あるいは新羅も倭もさまざまなものが入り混じってあってできたわけです。どこかでコミュニティが立ち上がり、日本になったり、九州というものになる。そんなマージナルなものをちょっと越える。それは今のような国境や法律的に決められたものではなくて、心のエリアみたいなものがある。そういうものを感じてもらえる組名にしました。

 

 組名については大きく二つ。

 一つは囲碁。碁盤の中心に「天元」があり、まわりには八つの星がある。ここに天元を加えて九つになる。この碁盤に皆が布石を打ちこんでいくイメージです。

 

 もう一つはタオ。北極星を軸に北斗七星はめぐります。その動向を地上に降ろすのが、タオという考え方です。そもそも九州の根本には囲碁のようなもの、タオを感じさせるものがある。この編集学校系から生まれた組にはこのタオを加えようと考えました。

 

 もともと老子や荘子が一番重視したコンセプトは、一つは「氣」、もう一つは「玄」なんですね。ぼくも「玄月」という俳号をつけていますが、最後に黒になる前にすべての色を含む黒のことを「玄」といいます。絵を描くとき、赤がもっとも黒に向かうあたりの色です。お月さんなんかもそういう月を「玄月」といいますが、いわゆるBLACKではありません。

 

 すべてのオーバーレスな色が黒にさしかかろうする際が「玄」。老子は「玄」をもっとも重視しました。「氣」は中国の哲学ですね。

 そのようなタオを、九州という地上に降ろして、そこにもともとある宇宙のようなもの、アジアのようなものを生かしてほしい。いたってコンセプチュアルな名前です。

 

 

九天玄氣組発足式(2006年9月23日福岡・友泉亭)松岡正剛校長祝辞より

*発足会の様子を織り交ぜて書かれた千夜千冊 #1157『九州水軍国家の興亡』武光誠